昼過ぎに樹木を観察していた。
特に、大きな幹が二手に分かれるいる分岐点から枝先を観察。
すると、通りがかりの女性から質問を投げかけられた。
「何を撮っているのですか?」
答えて曰く、「二股を撮っています。」
「二股の分かれ道を、自らの人生の分かれ道とダブらせて。」
樹木の場合、分岐点から枝先までを観察すると、
若干の大小の差が生じてはいるが、それほど大きな差はないようだ。
人生も同様であると思う。
あの時、あれだけ悩んで選択した人生の分かれ道、
たとえ、違った道を選んだとしても
そんなに大きな差はないのである。
帰りがけに川の土手を歩いた。
柔らかい陽射しが川面を照らしていた。
その光の柔らかさは、たとえようもないものに感じた。
(1) 冬の水嵩はあまりないようだ。
逆光がまたいい感じ。
(2) 枯れた紫陽花
(3) 青空も映っていた。
☆彡 ☆彡 ☆彡
私はりんごの木の下で
あなたの目をさまさせた。
そこはあなたの母があなたのために
産みの苦しみをした所。
そこはあなたを産んだ者が
産みの苦しみをした所。
Under the apple-tree I woke you,
in the place where you were born.