親父の背中

  • 2018.04.13 Friday
  • 06:00

JUGEMテーマ:日記・一般

 

 

 私の父親は、私が中学3年の秋に風呂場で倒れ、

 

そして、高校3年の夏にこの世を去った。

 

 

従って、父親との深い思い出は小学高学年から

 

中学3年生までの頃が印象深い。

 

 

父は、若い頃は瀬戸内海航路船のコックから船長を務めていたが、

 

霧が深く座礁等の危険性が高いとのことで、船長を辞めている。

 

 

コックをしていたこともあり、病気になってから、

 

一度、味噌汁を作ってくれたことがあったが、

 

手際よく作り、美味しかった思い出がある。

 

 

第二次世界大戦では、中国へ出兵し

 

歩兵として上海などで活躍した。

 

軍の進路は、馬を連れ兎に角直線に行軍したとのこと。

 

 

当時の日本軍の写真部の記録アルバムが残っている。

 

中国での行軍の様子や現地の人の生活ぶりがよくわかる。

 

 

私も一度、中国大陸を旅行した時、軍のアルバムに出ている町が

 

昔のままの状態で残っており深く感銘を受けた。

 

 

終戦後、日本に戻ってからは、陸地での生活に順応できなかったようだ。

 

船乗りは、陸に上がると陸の河童になるようだ。

 

 

中2の頃、父が投網を一人で編み上げた。

 

投網が完成した夜、母と二人で海へ行き、

 

10匹前後のススキを獲ったことがあった。

 

 

夏には、その投網を使って川で鮒をとり、

 

それを餌にして海でタコを釣ったりした。

 

 

伝馬船があったので、いつの間にか櫓をこぐのを覚えたが、

 

一本竿の扱いは難しかった。

 

 

伝馬船を漕ぐときに、「ゴスタン、ゴスタン」を命令を受けた。

 

「バックしろ」という意味である。

 

イタリアを旅行した時、歩道で同じような表示を見た。

 

 

どうもその時は、ゴスタンが止まれで、

 

アバンチAvanti「前進、進め」の2つの表示があったような。

 

再度、イタリアへ行き、確認をしたい。

 

 

親父は、イカ釣りも両手でこなし一晩に数多くのイカを釣り上げた。

 

投網を打つのも芸術の域で見事に大きな丸を描き網が広がった。

 

 

私も、投網に挑戦してみたが、これがかなり難しく、細長くなるだけで

 

とても実戦では使えるまでにはならなかった。

 

 

投網の編み方と、投げ方を教わっておけば

 

よかったのにと後悔している。

 

子供には父親を越えられない物があるようだ。

 

 

親父が最後に倒れたのは8月20日の朝食の時だった。

 

その日、高校最後のインターハイの柔道の試合があったので、

 

母が試合に行くように促した。

 

 

試合では、惜敗し私が主将でもあったので、

 

皆の試合の終了を確認し、途中で引き上げることにした。

 

 

自宅に戻ると、玄関先に沢山の靴が並べてあり、

 

直感的に、一大事な事が進行中であることを察した。

 

そして、帰宅して間もなく親父が息を引き取った。

 

 

今、振り返ってみれば実に不思議なタイミングである。

 

 

 

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