バングラデシュ・ダッカ 訪問から15年
- 2016.07.03 Sunday
- 06:54
JUGEMテーマ:日記・一般
あれから早や15年が経過する。
バングラデシュは飛行機から見下ろすと、
いつも洪水に見舞われている。
それほど陸地と海との高低差がないのである。
ダッカ空港から車で一時間ほどの田舎へ移動した。
空港出口から出迎えの車へ移動するまでのわずか距離が大変だった。
スーツケースを転がす両側から、荷物を持たせてくれと押しかける黒山の人、人、人。
車が信号で停止すると、必ずと言っていいほど、
乳飲み子を抱えた若い女性が窓越しに物乞いをしてくる。
隣りのバスの屋根上には、今にも落ちそうな黒山の人、人、人。
ホテルの玄関には、ムシロを敷き、片腕のない男性が物乞いをする。
( 物乞いをするために、腕を切り落とすこともあるとか )
1時間近く、蛇行を繰り返して、何とか村に到着。
( よく衝突事故が起こらない程、交通ルールがはっきりしていない! )
村の小学校を訪れたが、それは小さな小屋がそうであった。
黒板らしきもの、チョークらしきものが見える。
教室?の中に20人ばかりの児童がいる一方、
貧しくて学校へ行けない同世代の子供達が50人ばかり外から見学。
毎日、授業は同世代の子供達の参観授業である。
夜には、成人学校を見学。
大人が大きな声を出して、読み書きを学んでいた。
ここでも、読み書きを学ぶ大人が20人ばかり、
貧しくて学べない大人が100人ばかり見学。
( 字の読み書きが出来ないので、家畜の売買で騙される人が多いらしい )
村の病院にも見学へ行った。
階段の白い壁には、沢山の血痕が残っている。
病室が病室になっていない。医療器具も、衛生設備も何一つない。
患者は、冷たいベッドに寝かされているだけ。
外にでると、大きな白い布に覆われた人を載せた自転車タクシーがいた。
荷台のそれは遺体らしい。
( タクシーとは、後部座席に一人載せる移動自転車のこと。 )
平日、川で遊んでいる多くの子供を見かけた。
貧しくて学校へ行けないので、川遊びをして過ごしている。
トイレは、そのまま川への垂れ流しとのこと。
8軒ばかりの家の前には、必ず大きな池がある。
家は重要な役目をしており、周りに家を建てるようだ。
その池に入り、身体を洗い、家畜( ヤギ、牛 )も洗う。
ストリートチルドレンの現状視察もした。
六畳ばかりの部屋に上半身裸の男の子が30人~40人。
ギョロリとした目と、膨らんだお腹が印象的だった。
昼間は、駅の乗降客目当てに物乞いをしているらしい。
現地の家にも数件訪問した。
中は六畳あるかないかの広さ、その周囲は家財道具で満載。
この広さに8人ばかりで生活していた。
日本では、当たり前の風景が、バングラでは大きく異なる。
現在、一人当たりの国内生産は約12万円である。
食品を購入するお金もなければ、食品そのものが大きく不足している。
日本にあるキオスク程度の広さのお店で売っていたものとは、
何とパンが3つ、4つと、食品が少々。
日本では、山のように陳列されているが・・・・。
このような国もあることを知って驚いた。
確かに村は貧乏ではあったが、豊かな自然があり、
人々は素朴でいい人が多かった。
そんなバングラで悲劇が起こった。
バングラは人口が約1億6千万人で9割がイスラム教徒。
毎朝、5時半頃には、拡声器からコーランのお経?が
流れてくるので、目覚ましは不要であった。
日曜日、村で大学へ通っている青年と
田んぼの池で一緒に釣りをした。
その時、彼が言った「チョット」が気になっている。
針には、餌を少しだけ付けるように、という助言である。
「チョット」はベンガル語なのか? その由来は?
或いは、その青年は日本語の「チョット」を知っていたのか?
未だに謎である。
1) 夕食は、孫たちと Denny's へ
2)店内のいつもの光景である。
品物が溢れている。
これがバングラでは、10品程度しかない。
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