NHKドキュメント、大川小の3年半の検証に思う

  • 2014.12.01 Monday
  • 08:55
JUGEMテーマ:日記・一般

 石巻市釜谷地区の北上川河口から約4キロ川沿いに

位置する近代的な構造建築の大川小では、2011年3月11日の

東日本大震災で全校児童108人の7割に当たる74人が死亡し、

4人が行方不明のままになっている。


 NHKでは、亡くなった子供達の父母を中心にした

なぜ、子供たちが大地震後、50分近くも校庭に待機していたのか、

その原因を究明する震災後の3年半を追うドキュメントが流された。


 結論は、50分間も死の恐怖を抱きながら、先生方が児童を

校庭に待機させた理由が不明のまま番組が終了した。


 県も市も、大川小の校庭を避難場所として指定してきた以上、

小学校側の措置以上のことは、誰しもが予想できなったと

繰り返し説明をしていた。


 ひとつ、報道されなかったが、避難場所に指定されていた校庭に、

なぜ一般市民が避難して来なかったのだろうか?

避難方法が十分に行き渡っていなかった、或いは、校庭が安全な場所として

認識されていなかったと言える。


  河口からわずか4キロの場所し、川の傍に学校があるのは、

海に面した学校であるとの認識が欲しかった。

万が一の安全弁対策として、裏山に駆け込む手段もあった。


 あれほどの大地震である。あの日、茨城の笠間神社で実体験した際も、

これは、ただごとではない、何か予想しないことがきっと起こるぞと思った。

大川小の先生方も、ただごとではないと実感したに違いない。

いや、いままで実感したことのない恐怖を身に感じたであろう。


 ならば、今まで通り校庭に児童を集合させた時点まではよかったが、

それ以上の行動を促して欲しかったのに、今まで通りの訓練のままであった。

という点が納得できない。これが最初から最後まで報道番組で流された。


 もし、校舎が古い木造の校舎であったら、大胆な避難を出来たであろう。

りっぱな建築校舎がそれを阻止したのか?


  安全弁と言えば、緊急の場合に圧力を逃がし、それ以上の危険を抑える弁である。


 あれほどの大地震は、誰もが心の安全弁のスイッチを抜いたのではないだろうか?

大地震のあとは、大津波である。このような教育を受けていたはずである。


 ならば、心の安全弁のピンを抜いている子供たちに次なる行動のイニシャルを採るべきは、

大人の先生方にあったはずである。


 また、市や県も安全弁対策として、裏山への非難を指示し、

裏山への避難道の設置なども講じて欲しかった。

そして、日頃は、展望のいい見晴らし台としても活用できた。


 いま、車の業界はタカタのエアバッグで大騒ぎである。

エアバッグは、車の安全弁であるが、

どうも海に近く、海抜のあまりない学校の校庭は安全弁ではないようだ。


 大川小は、車は立派でも、エアバッグを備えていない車であったと言える。


< 近所の神社の境内にて >

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